【日本おくのほそ道】 二見興玉神社(三重県伊勢市)

日本おくのほそ道では、
日本随所にある神社仏閣や史跡、施設などに、MSGメンバーが足を運びレポートいたします。
日本の素晴らしさや、まだ見ぬ発見を、すこしでも皆様と一緒に探求できれば幸いでございます。

お伊勢参りは まず 二見浦にて 浜参宮

『日本おくのほそ道』 – 記念すべき初回は、”伊勢神宮・お伊勢参り”からスタートです。

伊勢神宮は、かつて天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、”美し国(うましくに)”と呼んだ、三重県は伊勢市に座します。
皇室の御祖先であり、私たち日本人の総氏神である天照大御神をお祀りしており、日本全国にある、約8万社の神社の中心となるお社です。

正宮・別宮・摂社・末社・所管社の125宮社からなり、その総称を『伊勢神宮』と呼びます。

お伊勢参りは、「二見興玉(ふたみおきたま)神社」で祓い清めることから始まり、「伊勢神宮」を「豊受大神宮(外宮・げくう)」、「皇大神宮(内宮・ないくう)」の順に巡り、最後に伊勢神宮の鬼門を護る「朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)」の順に参拝する。というのが古くからの習わしといわれています。

清き渚と称えられる二見浦の二見興玉神社に参宮することを”浜参宮(はまさんぐう)”といい、祓をなされ、穢れを祓い清め心身を清浄にしてから、伊勢の大宮である神宮へ参ります。

この仕来りに則り、三重県伊勢市二見町に座す、
二見興玉神社をご案内します。

「吾は天下の大地主にして土地を守る主なり」

「天孫降臨」にて地上に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の案内役、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)が祀られる社。猿田彦大神は天孫降臨(高天原(たかまがはら=神々が住む場所)から天孫・瓊瓊杵尊が地上に降り立つ神話)の際に、高天原と豊葦原中津国(とよあしはらのなかつくに=日本)の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。二見興玉神社は、夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社です。

~境内を巡る~

【第一鳥居】  
手水舎の手前、ここが入り口と言わんばかりに、石造りの鳥居が目に映ります。この第一鳥居は大正15年に奉献された神社のシンボルです。
居の前で立ち止まり、一礼。
鳥居の下は中央を避けて通ります。手水舎で手や口を清めて境内へ進みます。   

【第二鳥居】                                               第二鳥居は昭和3年に御奉献された鳥居です。
鳥居を抜けると、正面には伊勢湾が広がります。          かつて、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舟でやってきたとされる海岸線です。

【天の岩屋】                                               日の大神 天照大神が、弟であらせられる素戔嗚尊(すさのおのみこと)の狼藉を嘆いて閉じ籠り、世界が闇に包まれたという神話があります。
この場所は、神話に登場する天の岩屋と伝えられ崇拝されています。
夫婦岩から昇る朝日が日の大神である天照大神に例えられ、この朝日が岩屋に沈んでゆくことから、この神話にちなんだ天の岩屋信仰が生まれました。

【夫婦岩】                                                大岩(男岩)は高さ9m、小岩(女岩)は高さ4m、男岩と女岩を結ぶ大注連縄は全長35mにもなり、650年前には既に張られていて、『結界の縄』と称されます。
常世神が太平洋の彼方から寄り付く聖なる場所で、ここより手前を俗世という隔りをもって張られています。
日の大神と猿田彦大神縁の興玉神石を遥拝する鳥居の役割を担います。

【日の出遥拝所】                                             夫婦岩の手前に鳥居が構えられた場所があります。ここは毎朝、夫婦岩の間から登る日の出を拝み、身と心をを清める場となっています。夏至の日には、夫婦岩の間から昇る太陽を拝む”夏至祭”が行われます。 
猿田彦大神(さるたひこ)は太陽神として祀られたと言われており、その信仰の表れかもしれません。

【蛙の奉献】                                               夫婦岩に近づくと、大きな蛙の像と対面します。よく見ると至るところに像が立ち並んでいます。       
二見興玉神社の神徒、二見蛙です。人々は興玉神石を伊勢の海の守護の澳魂と崇め、龍神崇拝の精神と合わせて、龍神は雨を喜ぶという意味から、蛙が献ぜられてきました。
伊勢参宮者が旅の安全、航海の安穏を祈念して”無事かえる”の願からでたものとも伝えられます。

【契りの松】                                               本殿を横切り、”禊橋”を渡ると砂浜に出ます。この松は”契りの松”と呼ばれています。               
江戸時代末期、伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国より若い男女が、この浜で塩垢離(みそぎ)をして、着物を木に結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したことが起源とされています。
昭和28年9月25日に台風13号により流失し、平成3年5月23日に40年ぶりに再現されました。

【二見浦】                                                伊勢神宮に参拝する前と祭典に奉仕する前には清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが古来よりの慣しでした。
現代では代わりに、霊草無垢塩草を用いての祓い清めを受けます。伊勢神宮の御用材を運搬する”お木曳(おきひき)”や、白石を敷き詰める行事”お白石持(おしらいしもち)”の参加者は必ずこの浜参宮を行っています。

【竜宮社】                                               昔、この地に大津波が押し寄せ、困窮した人々は”神の御加護を願うほかはなし”として、海の守護神綿津見大神(わだつみのおおみかみ)を祀り、龍神さん、龍宮さんと呼んで崇敬してきました。
ここでは陰暦5月15日に郷中施神事を執り行います。きゅうり・なす・みる・おご・まつ菜等を供え、「津波が急にきたら見るな、待つな、おごるな」の先人の教えが今もしっかりと生きています。

【さざれ石】                                               ”君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで”
古今集に天皇陛下の、”弥栄を寿ぎ祈り此の石の如く坐しませ。”と詠われ後に、一部が改作され我が国の国歌となりました。

【社号標】                                                第一鳥居の前にある社号標です。神社後部にそびえる音無山の山頂にロープウェーを制作・運営した会社によって奉献されました。大東亜戦争が開戦され、不要不急路線と指定され、昭和17年に運営をおえた、わずか10年ほどの運営の幻のロープウェーでした。

第一鳥居の前で一礼し、社号票に別れを告げれば、いよいよ本格的な伊勢参りがはじまります。


二見興玉神社 
http://futamiokitamajinja.or.jp

以上、今回は二見興玉神社をご案内しました。
次回は、伊勢市に座す、神宮の外宮・豊受大神宮を巡ります。
今日も皆様が幸せな一日を過ごせますよう、そして日本の繁栄が戻りますように。
合掌

MSG 幕、髙橋

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